阿波踊りの歴史

起源 〜江戸時代〜大正期

「阿波の殿様 蜂須賀様(蜂須賀公)が 今に残せし 阿波おどり」。これは『阿波よしこの節』に歌い込まれている一節で、徳島藩祖・蜂須賀家政による「築城起源説」に基づいている。しかし、この説には疑問も多く、現在は盆踊りが「組踊り」「ぞめき踊り」「俄」といった民衆芸能の影響を受けながら形が作られてきたとする説が有力のようだ。しかし、在郷の盆踊りではなく、徳島城下で踊られた盆踊りが現在につながっていることは間違いなさそうだ。

江戸時代には、踊りの熱狂が一揆につながることを懸念した徳島藩から何度も踊りの禁止令が出された。特に、武士が庶民の阿波おどりに加わることなど論外で、1841年(天保12年)には徳島藩の中老・蜂須賀一角が踊りに加わり、乱心であると座敷牢に幽閉された記録も残っている。しかし、阿波っ子たちの心に流れる阿波おどりを完全に絶やすことはできなかった。

一方、文化・文政期に豪商としてならした藍商人たちが全国各地との文化交流の担い手となり、各地のさまざまな要素が阿波おどりに取り入れられた。阿波おどりのリズムは、奄美・八重山の「六調」、沖縄の「カチャーシー」、九州の「ハイヤ節」、広島の「ヤッサ節」などとの共通点が多く、南方に端を発する「黒潮文化のリズム」とされることがある。また『阿波よしこの節』は、茨城県の『潮来節』が元になっているとされている。

こうして、阿波おどりは盆踊りをベースにさまざまな文化を貪欲に取り入れ、庶民のパワーによって支えられながら徳島の伝統芸能として定着してきた。

明治〜大正期にも、日本文化全体のモダン化に足並みを揃えるかのように、鳴り物にバイオリンなどの西洋楽器が取り入れられたり、派手な縞模様のぱっち(股引)の衣装が流行るなど、近代化した様子がうかがわれる。大正時代に晩年を徳島で過ごしたポルトガル人・モラエスが母国に送った『徳島の盆踊』では、その熱狂ぶりを描写するとともに、古来から続く「死者を敬う踊り」としての精神性を記述している。

「徳島盆踊り」から「阿波おどり」へ 〜戦前

大正期から「阿波おどり」という言葉が使われることはあったが、阿波おどりの発展に尽くした林鼓浪の提言もあり、昭和に入って「徳島盆踊り」から「阿波おどり」という呼称が定着していった。これは、観光資源として全国に広めていこうという積極的な動きの一つであったためと考えられる。また、1931年(昭和6年)には、「お鯉さん」こと多田小餘綾がコロムビアレコードで『阿波よしこの節(阿波盆踊唄)』を録音。その名を全国に知らしめるきっかけとなった。

だが、1937年(昭和12年)の盧溝橋事件を発端とする中国との戦闘開始以来、第二次大戦にいたるまで戦争によって阿波おどりが中止されることが多くなった。そんな中、1941年(昭和16年)に封切られた東宝映画『阿波の踊子』(監督:マキノ正博、主演:長谷川一夫)では、徳島で大々的なロケが行われ阿波おどりのシーンでは芸妓たちがエキストラの踊り手として多数参加。同作が上映された市内の映画館は観客であふれたという。

1945年(昭和20年)、徳島はB29による空襲で市内の約62%が焦土となり、終戦を迎える。

多様化と広がり 戦後〜現在

終戦翌年の1946年(昭和21年)、ぽつぽつとバラックが建ち始めた状況の中で阿波おどりが復活。まだまだ踊りもまちまちで決して洗練されたものではなかったが、平和への喜びとともに現在まで続く老舗連も徐々に設立されるようになった。

1957年(昭和32年)、東京・高円寺で阿波おどり大会(当初は『高円寺ばか踊り』の名称)が始まり、阿波おどりが全国で開催される嚆矢となる。1970年(昭和45年)に大阪で開催された日本万国博覧会で徳島合同連が踊りを披露したり、海外遠征が行われるなど、「徳島の阿波おどり」から「日本の阿波おどり」へと広く認知されていくことになる。こうした動きに伴い「見せる阿波おどり」への志向も強まり、昭和40年代は踊りや音が、より洗練された芸能へと変化した時代でもある。

さらに、従来の「跳ねるリズム(2拍子、浮き拍子)」だけでなくエイトビートを叩く鳴り物の連も登場するなど、多様化への道も進んでいく。

そして現在、全国各地で阿波おどり大会が開催され、それぞれの地域の連が徳島の連とのつながりを深めたり、徳島から各地に阿波おどりの伝統を伝える動きが活発化している。徳島では本場として正調阿波踊りを受け継ぎながらも、新たな可能性を探り、次の世代へと阿波おどりの魂を引き継いでいく模索が続けられている。守るべきものを守りながらも、時代の変化を取り込んでいく。それこそが阿波おどりの伝統であり、未来へと続いていく力であると言える。

出典:あわだま編集部(2015)『阿波踊り本。II』 猿楽社.

阿波おどり三大起源説

主な起源説は次のとおり。現在は、多くの要因が取り入れられて阿波おどりを形成したものと考えられている。

築城起源説
1586年(天正14年)※、徳島藩の藩祖・蜂須賀家政が徳島城の築城を記念して、城下の人々に城内での無礼講を許した際に踊られたものを阿波おどりの始まりとする説。『阿波よしこの節』にも歌われているなど、もっともよく知られた説。
※1587年(天正15年)との説もある。
盆踊り起源説
鎌倉時代の念仏踊りから続く先祖供養の踊りを起源とする説。
風流踊り起源説
戦国末期の勝瑞城で行われていた風流踊りを起源とする説。「風流」は着物や装飾に趣向を凝らしたもの。